消費するだけではない自分へ

多くの人が抱える苦しみのひとつは
もう消費することでは
満足できない
ということではないだろうか。

他者から与えられたものを
(それは隣の人より少し良いものを)
消費して満足を感じていた世界から

自分自身を表現して
満足していく世界へ
変化していっているのだろうと感じる。

だから
自分らしさを求め
自分の役割を求める。

自分だけができることは何か。

それが見つからなくて苦しい
ということもあるだろうと思う。

(自分らしさを探すヒントとしては、
自分のどうしてもやりたいことや
誰に反対や否定をされてもやってしまうこと
がヒントになるだろう。

それは自分だけで
簡単に見つかるものでも
ないだろうと思うけれど。)

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現代は
自分が好きだからやってみたい
では通用しないところに
難しさがある。

例えば、
人が集まる場所を作りたいから
カフェをやりたい。
カフェに行くことも好きだし。
では、足りない。

自分の楽しみ+α社会のため程度では
もうサービスは飽和している。

やりたいことに
社会の中での意義や
社会善とされるものを掲げながら
個人のコアな(マニアックな)ところを
いかに織り交ぜて提供するか。

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例えば多くの人は
「カフェとはこういうもの」という
社会的な概念を持っていて、
いわゆるなカフェ的サービスを
他者から受けてきたと思う。

そしてそれに近いものを
自分が経済的・家族的な理由で
できると感じたとき
その概念的なカフェをなぞる。

絶対に面白くないものになる。

そこにいかに
「自分」を入れられるか。

そういったことが
他者から与えられたものでない、
自分を表現することにつながるし
そうでなければ
これから自分で何かを始めたときに
うまくいくかどうかに直結する。

そんな時代になったのだと
つくづく思う。

自分だけの楽しみや
マニアックさに
気づくということが
意外と自分だけでは
わからないことのだとも思う。

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