昨日の記事で、
できるようになるには
できるまでやることだと書いた。
それはひとつの正しさではあると思う。
その一方で、
できるとはどういうことだろうかとも思う。
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僕は独学で占星術の勉強をして
ホロスコープをある程度読めるようになった。
セッションもしている。
しかし、占星術の学びが終わったとは思っていない。
ホロスコープを読む技術をすべて学んだとも言えない。
少なくとも、もう一つ学んでおきたいことがある。
そういう意味で、できるとは言っても
“ある程度”という注釈を自分でつけてしまうことになる。
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完ぺきに何かができる。ということは
あるのだろうか?
特に対人、対動物など
生命のあるものに対して行うことに
「できた」と思うことは
とても危ういことだと思う。
生命という常に変化するものに対して
「こうすればよい」という
マニュアルはない。ないはずである。
そう思うと、
占星術のセッションにせよ
例えば、人の身体を触る整体にせよを
誰かに習い、そこで必要とされることを
一通り学んだことを「できる」と
思ってしまう人もいるように思うが、
そこにはカリキュラムをこなすことや
卒業・認定ということを
目指すことの危うさも感じる。
おそらく多くの認定機関においても
認定を取ることをスタートラインとして
そこからは自分の学びを続けることを
推奨してはいると思う。
しかし、一度ゴールにたどり着いた人が
そのままの知識で進んでしまうことも
往々にしてあるだろうと思う。
できるとはどういう状態かということに対して
少なくとも「僕が、セッションに関して」という枠の中では
その状態は訪れないと言っていい。
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「何かができていて、すごい」と思うことは
たくさんあるだろうと思う。
他者に対してそれを思うことは、別に悪いことではない。
正直なリスペクトの気持ちを抱くことは
とても良いことだと思う。
しかし、それを言われた側は
そんなときにこそ「自分は本当にできているのか?」
を思った方がいいのだろうと思う。
できている、なんて傲慢な考えだと
思えている自分でありたい。

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